木
01
7月
2010
マーケティングインサイツの尾上です。
前回は、ドラッグラグの原因としてこれまであまり取り上げられることのなかった企業の能力不足という要因を議論しました。
誤解があるといけないので補足しますが、これは、たまたまその新薬候補を持ってしまった企業が、がん領域において経験や知識の不足があるだろうという意味で使っているので、企業全体の能力をうんぬんしている訳ではありません。
例えて言えば、(もちろん架空の話として)SONYや日産という企業が、新製品の研究プロセスでたまたま、腹腔内視鏡手術に応用できるすごい技術のタネを見つけたとしましょう。
その場合、この技術がどの位市場で「売れる」ものなのかを判断することは当該企業には手にあまる話なのは当然のことです。
また、自社で製品化することで、医療に大きな貢献ができ、売り上げも見込めると仮に予測できたとしても、医療機器を販売するノウハウもルートもこれから開拓しなくてはなりません。
という事で、SONYにとっても日産にとっても、そうした新技術のタネを持ってしまったことが「不幸」であるという構図になります。
これを企業の「能力不足」と呼んだ訳です。
どの製薬企業も自分の治療フランチャイズ領域に関しては、時間をかけて投資をしてきています。
したがって、ひとたび強いフランチャイズ治療領域ができてそれなりの営業部隊を投入・整備してしまえば、その領域の顧客にフィットするような、次の新規薬剤はインライセンスしてでも欲しいものになる一方、それ以外の領域の薬剤の場合には、判断が極めて慎重になるのはやむをえないのかも知れません。
ですが、企業としてのフランチャイズすなわち戦うべき主戦場について、過去の積み上げにこだわるばかりに、本当に社会が求めている領域に出遅れることもありえます。
このような製薬企業の陥りやすい判断ミスを、イノベーションの権威であるハーバードのクレイトン・クリステンセン教授は最近の著書The Innovator’s Prescriptionのなかで、「誤った分野での戦い勝つことほど愚かしいことはない」と表現して警告を発しています。
今利益を得ている(パックのある)分野に向かってスケートを滑らせるのではなく、これから伸びる(パックが出て行く)分野に向かって滑らない危険性を指摘している訳です。
フランチャイズでもない分野の薬剤が、新薬のタネとしてある日出てくることはありえる話です。
その場合でも企業としてはオリジネーターであることは事実ですので、社会のため、医療のためにはそのタネを封印することはできないというジレンマがあります。
さて、企業の能力不足以外の要因として、今日はもうひとつの因子「極度の不確実性」について考えることにしましょう。
もともと、新薬開発は不確実なものですが、ドラッグラグの原因の一つとして企業が開発への決断を躊躇し先送りする大きな理由は、開発戦略そのものに関する不確実と、承認可能性に関する見通し・判断が極度に付きにくいことであろうと考えます。
開発戦略は、基本的には製品固有に決められるべきものです。
例外としては類似製品が既に承認になっていたり開発途上にあれば、その開発戦略を踏襲することができます。
しかし、抗がん剤の場合には新しいメカニズムの薬剤が増えています。
また標準治療と考えられるものが変化し、数年前までの薬剤とでは、性格も系統も異なるために開発戦略を全く新たに検討しなければならないものも多くあります。
時には別な抗がん剤との併用が必要であったり、治療の位置づけ(2次治療、3次治療など)を踏まえながら、どのような患者さんを対象に、どのような試験デザインで臨床試験(治験)を行うことが、当該薬剤の安全性と効果を示すことになるのかについて頭を悩ますことが多いというのが実状でしょう。
近年では、バイオマーカーを使った対象患者の絞りこみや、サロゲートマーカーと呼ばれる代替指標を用いて効果などを近似評価することの試みが真剣に検討・議論されてきています。
ですから企業には一層複雑かつクリエイティブな開発戦略立案が求められると言えるでしょう。
こうした環境下では、PMDAへの相談の機会を利用する企業も多いと思われます。しかし治験相談を終えて「もやもやが晴れました」と言ってすっきりした顔つきになった企業担当者や治験の関係医師に会ったことは寡聞にしてありません。
何とか治験を効率的に行い、(出せるものなら)早くクスリとして世に出したいと願う企業や治験の関係医師と、それを審査する規制当局側PMDAとのスタンスの違いが根底にあることを強く感じます。
PMDAの近藤理事長の掲げるレギュラトリー・サイエンスは、新薬に関するリスクをどんな風に評価し、担保しながら承認するのかを論理構築するものでしょう。
こうした努力によって、いたずらに海外(FDAやEMEA)に追随する判断から脱却することも、今後の重要な課題です。
このように、製品の開発戦略がはっきりしない、あるいは非合理に大規模な治験実施を当局から示唆されてしまうと、企業は開発に割ける人員とコストをもとに判断しますので、当該新薬候補の優先順位を下げざるを得ないことがあります。
このように不確実ななかで開発戦略についての結論を出し、駒を先にすすめて行くのは障害が多いことは判っていただけると思います。
さて、「開発戦略の決定」が臨床試験開始の入り口であるとすると、試験終了後の最終の関門が承認です。
これに関しても不確実性が企業の開発決断を躊躇させる因子になります。
企業は承認をもらうことを前提として治験を行うわけですが、様々な不確実性要因でそれがかなわないことを経験上知っています。
そこで「承認可能性」についても色々な判断を行う訳です。
こうした判断に関係する部署としては、製品戦略部門であったり、薬事部門であったり、臨床開発のプロジェクト管理部門だったりしますが、時には承認される確率を%で出すことが求められます。
承認確率以外に、承認時期も同時に予測しなければなりません。
承認されない最も明白な理由は、有効性が示されないか、安全性上の問題がある場合でしょう。
これは一見納得のゆくものが多いように思われます。しかし、安全性の問題でも海外で発現した間質性肺炎による死亡例などは、その評価を早いタイミングで行うのは至難の技です。
基本は、疑わしきは承認せず、という姿勢ですので、どんなに有望なクスリでも最後にうまくゆかない事はつねにリスクとして織り込んでいなければなりません。
審査期間も短縮される傾向はありますが、PMDAのスタッフが増員されることがそのまま単純に、審査機関短縮に向かうとは言えないかもしれません。
もともと日本の治験は海外に比べると過剰品質という面があることが指摘されています。
審査スタッフが増員されることが、期間の短縮にまっすぐに向かわず、(必ずしも本質的でない可能性の高い)詳細な照会事項と言う名の質問を増やす可能性もゼロではありません。
治験開始時に考えた想定(アサンプション)を越えた審査基準によって判定されることも含めると、社会的、科学的な面から不確実性を助長する因子は今後も恐らく減ることはありません。
こうした中で、企業に治験開始という決断を持たせるものは何でしょうか。
私見では、それはクールな計算とクスリを世に出したいという熱い思いのブレンドだろうと思います。
クールなアタマと熱いハートを持って初めて、開発治験開始へと腕が動くのでしょう。
Head & Heart & Handという語呂合わせのような3Hが企業内にそろわないと、ドラッグラグは容易に解消できないのです。
ここまで、ドラッグラグを企業の視点で見るというテーマで書いてきました。
企業が新薬候補を正しく評価し、販売までのインフラを持てるかどうかという能力部分の要素。
これは、もしがんの領域で能力不足が考えられるのであれば、速やかにパートナー、アライアンスの企業を探す方向に進むことで解消をすることが大事になります。
また、開発戦略の決定や、承認可能性に関わる極度の不確実性を少しでも減らすためには、治験参加医師、規制当局、製薬企業の3者が建設的な交流を図る場を増やして、抗がん剤開発に関する視界を良くすることが求められます。
他企業の事例なども公開して「臨床の知」「レギュラトリーサイエンスの知」が蓄積されて行くことは重要ですね。
5月31日のブログで紹介した、製薬医学会もそうした動きにインパクトを果たせるのではないかと期待をしています。
こうした努力は、最終的に医療消費者である患者さんに、いかに安全で有効な治療手段を届けるか、というミッションに関わることです。2人に1人が、がんに罹患する時代だからこそ、ドラッグラグに必要な対策を総合的に打つことが求められます。
なお、ドラッグラグをここでは、承認されていないクスリ、または適応症の問題として議論してきました。
しかし、既に検討会などでも一部議論されている通り、日本に於いても保険診療で使えるようになることで、(承認されなくとも)ドラッグラグは解消するという側面があります。
ですから、少なくとも適応症追加に関して言えば、どうしても必要な適応疾患(がん種)に関しては、ある条件のもとで効能の追加承認と保険適用を別扱いにする施策が取れれば、承認のためだけに余分な治験をする必要がなくなることが言われています。
意味の少ない、日本人の少数例の治験を、適応追加という理由だけで行うことに意義があるのかどうかも、これから広く議論されなければならないでしょう。
今や、新薬が世界標準の治療になるまでの期間が短くなりつつあります。
PMDAが人員を増やす、
新薬に関して薬価の逓減をなくして企業の開発意欲を増やす、
治験実施のインフラを拡充させる
といった、要素還元論的な対症療法の連続では、日本が取り残されつつある状況に有効に立ち向かえない可能性が高いことをもう一度考えなくてはなりません。
これはやがてがんになるかもしれない皆の問題なのですから。